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 ふと、最近耳にした中で気になった言葉がひとつ。それは例によって通勤中に聞いたラジオの中でのこと。
 どうやら話題は「消費税増税」の話だったようです。

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 おそらくですが、次の選挙の後あたりで現在5%の消費税が引き上げられて10%に、という議論が本格化しそうな気配です。

「とうとう踏み切るのかぁ」

 というのが私の本音なのですが、以前に3%から5%になった時に、せっかく回復しかけた景気を再びどん底に叩き落としたという前例があるだけに、それ以上の増税の予告に巷の零細企業の経営者などにとっては気が気ではない事柄だと思います。もちろん一般の消費者にとっても影響は小さくないでしょう。
 そういえば、その時の首相って、人気があったものの大して成果も残せず、散々景気を悪くするだけして退陣したんじゃなかったっけ?

 でもまあ、私が驚いたのは、選挙も近いこの時期にそれを表に出してきたということ。
 よほど今の支持率に自信があるのでしょうねぇ。これで仮に選挙に大勝でもしてしまうことになれば、好き勝手ができるとでも思っているのかも知れません。

 消費税自体にも思うところはいっぱいあるのですが、ラジオでの話の中で私が食いついたのは、人気のパーソナリティが言った「消費税のとりこぼし」の一言です。およそ次のような内容でした。

「消費税を増税する前に、現行の税率でもとりこぼしている税金をしっかり徴収したらどうか」

 とか何とか。

 つまり、現在では売り上げが1千万円に満たない小さな事業所は消費税を納税しなくていいことになっています。しかし、消費者は買い物をするときには必ず5%の税金を払っているわけだから、その支払ったはずの5%が国に税金として入らずに、その事業所の「所得」になってしまっている、と指摘しているのです。1千万の5%だから最大で50万円ですが、塵も積もれば、でかなりの額になるだろう、とのこと。

 確かにその通りなのですが、それを「とりこぼし」と表現するそのパーソナリティの感覚に違和感を覚えたものです。

 年間売上が1千万円程度ということは、仕入れや経費を除くと純粋に所得(従業員の給料)として見込めるのは良くて200~300万円程度です。零細も零細、いつ倒産してもおかしくないほど苦しい経営を余儀なくされている事業所ということになります。その内の50万円といえば、経営が吹っ飛びかねないぐらいの割合なわけですよ。

 確かに納税は免除されているわけですが、気軽に「とりこぼし」と言っていいのだろうか?

 おそらく、同じく税金で生活が圧迫されているとはいっても、そこは普通に給料をもらっているサラリーマンと、小さいながらも経営に関わっている事業者との感覚の違いなのでしょうが、少なくともマスコミに関わる人間であれば、それぐらいの想像力をもってもらいたいと思うわけです。それに踊らされて「そうだそうだ」と世論が流されていく風潮が今の政治にはありますから。

 人気や勢いだけで成立した政権が、過去にどんな悪政を残してきたかは、日本の政治史上にもしっかりと刻まれています。消費税を5%に上げた首相も人気だけはあったし、小選挙区制を導入した時の政権って誰だったかな? 近いところでも、郵政民営化をごり押ししたのは?

 だから、というわけではないのですが、あまりに支持率の高い政治家って好きにはなれないのですよ。

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|2010,06,20, Sunday 04:04 AM | comments (0) | trackback (0) |

 ふと気になった、というよりも目に付いたのが世間でも流行らしいという「携帯小説」。
 そういうのがあることは知ってはいたものの、具体的にどういう代物なのかは実は知りませんでした。

 私自身があまり携帯でネットを見ないというのがその理由です。

 外出中であったり、すぐにPCが扱えない状況であった場合に、必要に迫られて使うぐらい。それも、天気や路線を確認したり、あるいは検索サイトで調べ物をする程度でした。

 そういう事情もあってか、自分が手のひらの中の携帯を長時間眺めてはページ送りをしている図というのが想像できませんでした。

 ところが、不意にどっかのサイトの下の方の広告リンクで見かけた「携帯小説」というリンクに、その時は目がとまってしまったわけです。(どうやら、私は久方ぶりの「活字病」にかかっていたらしい)
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 で、思ったのが、

「私の作品を投稿したら、どんな風になるんだろう?」

 というものだったのですが、一応投稿ともなれば著作権とかいろいろ確認も必要だし、といくつかの携帯小説サイトを覗いてみたところ、

--何だ、これ……


 いくつか短めの作品を読んでみましたが、最初から違和感を感じました。

 なんで段落先頭の字下げがないんだろう?
 改行がやたら多い。
 1文=段落……とてつもなく短い。
 1ページの文字数も少ない……

 戸惑いもあったと思いますが、読みにくかったです。
 しかしながら、結構楽しめる作品もあるんだな、というのも正直な感想ではありました。

 携帯小説が「そのように」なっているのには、それに応じた理由もあるらしく、いわゆる「携帯小説の書き方」みたいなところで検索をかけて調べてみました。

 その中には、小さな携帯の画面で閲覧することが前提だから、と納得できるものもありましたが、小学校で習ってきたような基本的な日本語文章のルールを逸脱するだけの説得力にはやや欠けているように思えたものもありました。
(字下げはやっぱりした方がいいと思うぞ、私は)

 とまぁ、個人的な意見はともかく、そういうあり方が認知され、ここまで広まったからには、それはそれでありうる姿のひとつなんだとは思うしかありません。


 で、話は戻って私の作品のいくつかを投稿したとしたら、おそらく今調べたところでは携帯小説のスタイルでは無理がありそうです。

 基本的に小さい画面で、つまり一度に表示できる情報量にも限界があるにも関わらず、読みやすさのために改行がやたら多い。普通の小説なら、ちょっと長めのセリフだとそれだけでオーバーフローを起こしてしまいます。

 実際には私のサイトはいくつかの例外はあるものの、基本的には携帯での閲覧に対応できるように作ってあります。もちろん、自作の小説なども携帯で読めるわけですが、先ほど見た携帯小説とは全然違います。ということは、これは「読みにくい」のか……そう考えると複雑。(苦笑)

 やはり、郷に入れば郷に従えではないですが、もし書くならそれに応じた書き方で新しく推敲する必要がありそうです。


 また、書き方のスタイルだけでなく、作風としての傾向も携帯小説には定番があるらしいです。

 基本的に女の子口調の1人称
 恋愛物がやたら多い

 これはいったいどういうことだろう? 解説では、比較的若年層にウける、すなはち感情移入しやすいから、という理由らしいです。わからなくもないですけどね。

 1人称なのは、私にとっては、サイコガードシリーズもあるし、それほど困らないのですが、恋愛物はいささか困ったことに……。(こんなところで私の乏しい文章力を暴露してどうする)
 それと、普段からもっと情景描写や心理描写をしっかりしないと、と思って自分の苦手を克服すべくあがいているだけに、その方向性とはまったく逆のスタイルになってしまいます。

 最初にサンプルを読んだ時にこう思いました。

 これって、表現力が乏しくてセリフだけを並べてしまっていた、かつての自分の書いてたのに似てる……。別に、今がそれほど表現力があるなどとは思っていませんが、それにしても極端だなぁ、と思ったんですよ。
 別に今の携帯小説を陳腐だなどと批判しているわけではないのですが……。

 ただ、唯一批判めいたことを書かせてもらうと。この携帯小説が、巷の若人にもてはやされている、という事実からの類推です。

 以前、言語や言葉のことでいろいろ考えていた頃「人間の思考のあり方というものは使用している言語に左右される」と考えたものです。つまり、ラテン語を源流とする英語やフランス語、ドイツ語などは、比較的論理的で明確な言語です。日本語みたいな曖昧さはありません。これは、文化的な精神構造の違いになって現れ、「ノーと言えない日本人」などといった本が話題になったりするわけです。

 それと同じように、ひょっとしたら携帯小説のスタイルが、感情移入しやすく、もてはやされている今の若者の精神構造って、そういう「スタイル」になっているんじゃないかって……。

 あまり深く物事を考えずに直感的に紡がれる短い言葉(=セリフ)、携帯の1画面に収まる程度にしか前後を捉えられない狭い視野。
 紡がれる言葉には、紡ぎ手の捉える(見ている)世界が見え隠れします。同時に、それを読む読み手の方でも、そこまでしか見えない(捉えられない)という現実があるのではないか。

 そんな取り留めもないことを考えていると、少し怖くなってきた。

 携帯小説を読んで、私自身が気づいた特徴(上の解説サイトでは指摘されていなかった)に、こんなのがあります。

 「それ、これ、あれ」などといった指示語が少ない。
 「それで、だが、しかし、でも」といった接続詞が少ない。

 必然的に1つの文や段落が長くなるこれらの単語が少ないのは携帯小説としては当然の結果なのでしょうが、その意味するところは、物事の理由や、相反する事象、紆余曲折を経ながらもひとつの結果へと導くための構造が欠落しているか、極めて不十分だというものです。

 これで、いったいどれだけ作者の表現したかったことを書き表せられるのでしょうか。その不利を乗り越えて、それでも素晴らしい作品にするのが作家の腕ということなのだろうか。

 うーん、半分以上は妄想に近いのですが、やはり実際にやってみるのもいいか、と最近考えています。
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|2010,05,28, Friday 02:01 AM | comments (0) | trackback (0) |

 かのレヴィ=ストロースの死去を知ったのは昨日の車の中、例によって通勤中のラジオであった。

 最初に耳にしたときは「まだ生きていたんだ?」という、故人に対しては甚だ失礼なものであったが、享年100歳ともなれば大往生もいいところではある。

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 ふと、そのラジオから「悲しき熱帯」の文言が飛び出すに及んだとき、奇妙なことに私が感じたのはちょっとした懐かしさだった。他聞にもれず、私も読んだことがある。
 まだ多感さを残した学生時代のことではあるが、もちろんレヴィ=ストロースが興したとされる「構造主義」だけでなく「実存主義」「マルクス主義」などなど、本編ばかりでなく解説本どまりの場合もあるが、けっこう色々なものに触れてみたいという欲求が実際の行動に出せたのも学生時代ならではということだろうか。そういった意味での「懐かしさ」だった。

 とはいえ、そういった欲求は世界(社会?)を認識したい、というまだまだ未熟な人格の形成途上にあるがゆえの足掻きにも似たもので、その誰にでもある人生の一時期に触れることになる思想としては「構造主義」はとても美しく、そして魅力的に思えたことは確かだった。実際「悲しき熱帯」は読み物としても秀逸な作品といえる。

 構造主義に限らず、社会を認識する手段はいくつもあるわけだが、当の構造主義に対してあまりイデオロギー色を感じなかったのはその理論の美しさにあったのではないかと思わないでもない。
 あまり適切な例えではないのかも知れないが、自然界を理解する学問である物理(私の専攻であったわけだが)で、それを記述する言語(ツール)が数学であるという、当時の級友たちとの戯言にも通ずる。物事を記述するための言語として数学を捕らえたとき、それはあまりに厳格で容赦なく、そして美しい。

 どうしてなのか、私は複雑な社会をもっと単純な形でとらえたいと思っているのかも知れない。あるいは記述できるのではないかと妄想しているのか。
 実際、人はみなそういう傾向があるとは思わないでもないわけだが、物事をとらえるとき、人はそれを自分に都合のいいように理解するか、それとも正しいであろう成り立ちを探ろうとするか、のどちかかに分かれる。無論、私は後者になるのだろう、それは「なりたい」ではなく、いつの間にかそうしてしまう自分を自覚しているに過ぎない。なにせひねくれ者だから。(苦笑)

 ともあれ、今の変に斜に構えた私の似非客観性は……、今更ながら結構影響を受けていたんだなぁ、と思い至ってしまうわけだ。

 残念に思うほど故人のことは知らないわけだが、おそらく20世紀においてもっとも多くの影響を及ぼした思想家の1人がその人生をとじた。
 そういうことだろう。

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|2009,11,05, Thursday 06:50 AM | comments (0) | trackback (0) |

 今年、2009年は「世界天文年」とかになっているらしいです。
 恥ずかしながら、私も知りませんでした。

 とはいうものの、これを知ったのはらん さんのところのブログでの紹介だったわけですが、その中で「みんなで星を見よう」という企画を紹介されていました。
[PIC]

 今年に天文関係のいろんなイベントに参加したり、実際に星を見たりしたときの感想を投稿すると、この企画への参加証明書がもらえるとのこと。
 というわけでもらってきました。

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[LINK]

 なかなかいい感じです。
 日付が7月22日になっていますね。もちろんテーマはこのブログでも紹介した日食関係にしました。

 今は十五夜関係の投稿を募集しているらしいです。だから写真がお月様なのかな。
 ひょっとしたら日食の時にこの企画に参加していたら皆既日食の写真になっていたのかも。だとしたら、惜しいことをしたものです。

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|2009,10,07, Wednesday 01:18 AM | comments (0) | trackback (0) |


 ここ2週間ばかり、予定していた仕事だけでなく予定外に時期が早まった仕事、見込みが違った(見落として)ためにすでに(4月中に)終わったはずの仕事のやり直し(+過誤の訂正方法の準備~こういうのを尻拭いという)などなどで、仕事に埋没してました。

 いったい何回職場に泊まったことやら……

 とりあえず期限の厳しかったいくつかはひと段落ついたので、この間まともに見てなかったHPなりブログに寄ってみると

 妙なことに記事No224へのアクセスが急増していました。



続きを読む ≫
 いったい、どうしたわけで? とアクセス解析からリンク元を調べてみてわかったのが、

「栗本薫、26日にすい臓がんのために死去」

 の一文。

 故人の訃報に対してダラダラと述べるつもりもありませんが、ただ、未完のままになるであろう「グイン・サーガ」を残して逝くのはさぞ無念であったことだろう、と思われてなりません。

 慎んで故人のご冥福をお祈りいたします。



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|2009,06,01, Monday 07:17 PM | comments (0) | trackback (0) |


 3月です。肌寒さの中にも春を予感させるいい季節ですよねぇ。

 そんな折、通勤中のカーラジオやコンビニのBGMにも季節を感じさせるものがチラホラ聞かれるようになってきました。
 そう、そういえば「卒業」のシーズンだったりします。


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 今年、最初に耳にしたのは「卒業写真」でした。「ああ、そうかぁ」と感じ入ったものです。

 そんなわけで、卒業にまつわる曲をいくつか思い出してみた。カラオケのネタにでもなるかも知れないしね。

 うーん、やっぱり一番に思いつくのは尾崎豊の「卒業」なのかなぁ。故人となってから、そのさらにだいぶん後になって聴くようになった尾崎ですが、たとえ中高生の頃に触れていたとしても、青臭さを覚えていたに違いない、そんな屈折した学生時代だったと我ながら笑ってしまいます。

 なぜかその次に出てきたのが中島みゆきの「時代」です。これはずっと以前に読んだマンガの最後の場面、もちろん卒業式がらみだったのですが、在校生が送別の歌として大合唱してました。はからずも尾崎の「卒業」と同じ3拍子(6拍子かも)の曲ですが、そのためか螺旋のように情感が高まっていく感じがいいです。

 他にも、この季節ならではな感じのする「なごり雪」とかアニメで流行った「思い出がいっぱい」などが変に気取らず、すんなりと頭に浮かんできたりします。

 でも、どういうわけか仕事中に思わず口ずさんでしまったのが中村あゆみの「メインストリート」だったりするものだから、私も変わったヤツです。
 歌い出しが「卒業式待ちきれずに~」だったからですかね。これって「卒業」がテーマだったっけ? とふと疑問に思ってしまいます。そういえば中村あゆみの曲の中にはしっかりとタイトルで「卒業」という曲もあるのにね。

 中村あゆみは、おそらく邦楽としては私が一番好んで聴いたアーティストだったと思います。だから今なお口をついて出てしまうこともあったわけですが、あのハスキーな声で紡がれるソウルフルな歌詞もリズム感に富んだ曲も、聴く者にとっても歌い手にとっても心を強くさせる何かがありました。

 歌詞に従うならば、とっくにメインストリートに飛び出してしまっているはずの私ですが、未だにココがメインなのかと聞かれれば自信はありません。きっと「そうじゃない、もっと……」と口に出してしまいたい私が一方で存在しています。

 迷いのない人生はないとはいえ、それを情けないとも思いません。

 迷いがあるということは、すなわち求めるものがあるはずだから
 前に向かって進む動機としては十分に過ぎるというものでしょう


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|2009,03,15, Sunday 10:18 PM | comments (0) | trackback (0) |

ハンドルネームバトンかな?
Sky★Palace」のらんさんより、名指しで指名されてしまいました。(苦笑)

  ↓


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1.まず貴方のHNを教えてください。

 「SAKI」(さき)です。
 基本、全角大文字です。縦書きにしたときに横に寝転ばないのです。(なんだそりゃ?)

2.そのHNの由来は?

 本名の一部をローマ字にしただけです。凝りも捻りもありませんねぇ。

3.そのHNにしてよかったことはありますか?

 読みや綴りなどはごく普通にありふれたHNですからねぇ。

 読みから女の子に間違われたり……
 ネトゲやコミュでこの名前で登録しようとしても既に使われていたり……
 検索にかけるといかがわしいサイトでひっかかったり……

 考えてみるとあまりいいことがないぞ?

4.他にサブネームなどありましたら教えてください。

 3の弊害がありつつも、私も強情ですから「SAKI」で通してます。
 掲示板などで、慌ててたり変換がめんどくさくて「SAKI」(半角大文字)で投稿してしまうことがあるのはご愛嬌。

5.これからそのHNを変える予定はありますか?

 まったくありません。
 匿名性が前提であるネット上では、名前を変えるだけで簡単に「別の人」になってしまえます。リアルよりも遥かに人格の多くの部分を「名前」に依拠するものなのでしょう。
 名を捨てることはネット上での「死」に近いものなのかも知れません。

6.必ずHNを変えなくてはならない場合になりました。

 嫌です。(うぁ)
 しかし、ネトゲでのキャラ名がもとで「紫(むらサキ/笑)さん」と呼ばれることがよくあります。どうしてもというならそれで。

7.思いついたHNと今のHN、評価を不等号で表すと?

 紫 < SAKI
 当然でしょう。

8.他の人が考えたHNに変えなければならなくなった場合、考えてもらう人を一人だけ。

 そうですねぇ、では大相撲の東関親方に。(四股名にしてどうすんだ/爆)

9.知り合いの中でその人の善し悪しに関わらず、良いHNだなと思う人を2人挙げてください。

 難しいというより考えにくい質問ですねぇ。
 2人となると、「あかり」さん(意味も響きも好きな名前です)と「はるか」さん(由来を聞いてぶっとんだ。今はどちらにおられるのやら/寂)でしょうか。

10.下ネタや卑猥なHNの人を見たら思うことはありますか?

 5で述べた理由で「そのように」受け取られても仕方ないのでしょう。

11.1文字だけなど適当なHNの人を見たら思うことはありますか?

 あのぉ、「紫」も1文字なんですけど?

12.バトンを回してきた人のHNの雰囲気を漢字2文字で表して下さい。

 うーん、真っ先に頭に浮かんだのが「乙女」かなぁ。作品を読ませてもらうとよけいにそんな感じがします。

13.バトンの回答は以上です。回す人を8と9の答えを含め5人指名してください。

 えええっ、8って、東関親方にも回すんですかぁ!?
 古来、バトンを回すのはどっかの魔法少女と相場が……(以下自粛)

 うぅ、名前をあげてしまったし、「あかり」さん、もし差し支えなければよろしく。(魔法少女だったのか……自粛してないじゃん/爆)


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|2009,02,15, Sunday 08:31 AM | comments (0) | trackback (0) |

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