かのレヴィ=ストロースの死去を知ったのは昨日の車の中、例によって通勤中のラジオであった。
最初に耳にしたときは「まだ生きていたんだ?」という、故人に対しては甚だ失礼なものであったが、享年100歳ともなれば大往生もいいところではある。
ふと、そのラジオから「悲しき熱帯」の文言が飛び出すに及んだとき、奇妙なことに私が感じたのはちょっとした懐かしさだった。他聞にもれず、私も読んだことがある。
まだ多感さを残した学生時代のことではあるが、もちろんレヴィ=ストロースが興したとされる「構造主義」だけでなく「実存主義」「マルクス主義」などなど、本編ばかりでなく解説本どまりの場合もあるが、けっこう色々なものに触れてみたいという欲求が実際の行動に出せたのも学生時代ならではということだろうか。そういった意味での「懐かしさ」だった。
とはいえ、そういった欲求は世界(社会?)を認識したい、というまだまだ未熟な人格の形成途上にあるがゆえの足掻きにも似たもので、その誰にでもある人生の一時期に触れることになる思想としては「構造主義」はとても美しく、そして魅力的に思えたことは確かだった。実際「悲しき熱帯」は読み物としても秀逸な作品といえる。
構造主義に限らず、社会を認識する手段はいくつもあるわけだが、当の構造主義に対してあまりイデオロギー色を感じなかったのはその理論の美しさにあったのではないかと思わないでもない。
あまり適切な例えではないのかも知れないが、自然界を理解する学問である物理(私の専攻であったわけだが)で、それを記述する言語(ツール)が数学であるという、当時の級友たちとの戯言にも通ずる。物事を記述するための言語として数学を捕らえたとき、それはあまりに厳格で容赦なく、そして美しい。
どうしてなのか、私は複雑な社会をもっと単純な形でとらえたいと思っているのかも知れない。あるいは記述できるのではないかと妄想しているのか。
実際、人はみなそういう傾向があるとは思わないでもないわけだが、物事をとらえるとき、人はそれを自分に都合のいいように理解するか、それとも正しいであろう成り立ちを探ろうとするか、のどちかかに分かれる。無論、私は後者になるのだろう、それは「なりたい」ではなく、いつの間にかそうしてしまう自分を自覚しているに過ぎない。なにせひねくれ者だから。(苦笑)
ともあれ、今の変に斜に構えた私の似非客観性は……、今更ながら結構影響を受けていたんだなぁ、と思い至ってしまうわけだ。
残念に思うほど故人のことは知らないわけだが、おそらく20世紀においてもっとも多くの影響を及ぼした思想家の1人がその人生をとじた。
そういうことだろう。
≪ 続きを隠す
最初に耳にしたときは「まだ生きていたんだ?」という、故人に対しては甚だ失礼なものであったが、享年100歳ともなれば大往生もいいところではある。
ふと、そのラジオから「悲しき熱帯」の文言が飛び出すに及んだとき、奇妙なことに私が感じたのはちょっとした懐かしさだった。他聞にもれず、私も読んだことがある。
まだ多感さを残した学生時代のことではあるが、もちろんレヴィ=ストロースが興したとされる「構造主義」だけでなく「実存主義」「マルクス主義」などなど、本編ばかりでなく解説本どまりの場合もあるが、けっこう色々なものに触れてみたいという欲求が実際の行動に出せたのも学生時代ならではということだろうか。そういった意味での「懐かしさ」だった。
とはいえ、そういった欲求は世界(社会?)を認識したい、というまだまだ未熟な人格の形成途上にあるがゆえの足掻きにも似たもので、その誰にでもある人生の一時期に触れることになる思想としては「構造主義」はとても美しく、そして魅力的に思えたことは確かだった。実際「悲しき熱帯」は読み物としても秀逸な作品といえる。
構造主義に限らず、社会を認識する手段はいくつもあるわけだが、当の構造主義に対してあまりイデオロギー色を感じなかったのはその理論の美しさにあったのではないかと思わないでもない。
あまり適切な例えではないのかも知れないが、自然界を理解する学問である物理(私の専攻であったわけだが)で、それを記述する言語(ツール)が数学であるという、当時の級友たちとの戯言にも通ずる。物事を記述するための言語として数学を捕らえたとき、それはあまりに厳格で容赦なく、そして美しい。
どうしてなのか、私は複雑な社会をもっと単純な形でとらえたいと思っているのかも知れない。あるいは記述できるのではないかと妄想しているのか。
実際、人はみなそういう傾向があるとは思わないでもないわけだが、物事をとらえるとき、人はそれを自分に都合のいいように理解するか、それとも正しいであろう成り立ちを探ろうとするか、のどちかかに分かれる。無論、私は後者になるのだろう、それは「なりたい」ではなく、いつの間にかそうしてしまう自分を自覚しているに過ぎない。なにせひねくれ者だから。(苦笑)
ともあれ、今の変に斜に構えた私の似非客観性は……、今更ながら結構影響を受けていたんだなぁ、と思い至ってしまうわけだ。
残念に思うほど故人のことは知らないわけだが、おそらく20世紀においてもっとも多くの影響を及ぼした思想家の1人がその人生をとじた。
そういうことだろう。
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|2009,11,05, Thursday 06:50 AM | comments (0) | trackback (0) |
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